夭逝する天才 ー フランシス・バルフォー  (2006.2.1[Wed])


    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋

 

 進化発生学者であれば、バルフォー(Francis M. Balfour, 1851-1882)の名を聞いて一種無念に駆られないではおれないだろう。30代の初め、スイスでの登山の最中に事故死しなければ、彼はいったいどれほど偉大な発生学者になっていただろうか。彼は英国ばかりか、古今東西を通じて最も見識豊かな比較発生学者のひとりであり、A Monograph on the Development of Elasmobranch Fishes (1878)、ならびにCDB図書の所蔵する、「A Treatise on Comparative Embryology(1885、全2巻)」の著者であり(どちらも私の現在の研究に欠かせない、重要なものだ)、すでに紹介したフォン=ベーアの確立した比較発生学の、当時正当派の後継者と見なされていた人物である。その詳しい背景については、この分野でのオピニオンリーダーとなったホールの Hall BK. (2003) Francis Maitland Balfour (1851-1882): a founder of evolutionary embryology. J Exp Zoolog B Mol Dev Evol. 299:3-8、あるいは「Evolutionary Developmental Biology (1998、邦訳あり)」などを見られたい。ちなみにホールは現在、バルフォーの伝記を執筆中であると聞く。

 いったい、標準的な成熟過程を経る研究者が中年にさしかかるまで思いもつかないような本質的問題を、30歳になる前にいくつも相手にするなど可能なのだろうか。どのような環境がこういった人物を創るのだろう。このバルフォーを見るにつけ思わずそう考えずにはおれない。大学の卒業研究において彼は、その形態と動態から両生類胚の原口(ここCDBでは、もはや説明の必要すらあるまい)とニワトリ初期胚の原条が同等の構造であることを看破している。さらに、ナポリ臨海実験所においては、ヘッケルの筋に連なるアントン・ドールンの指導のもと、初めてサメの発生を記載し、さらにその頭部のなかに中胚葉性の体腔を見いだしている。頭部中胚葉に分節があるか無いか、さらにそれが脊椎動物の頭部パターニングとその進化にとってどのような意味をもっているのか...。進化に興味があるないにかかわらず、現在の発生生物学者の多くが今まさに真剣に取り組み、いわゆるメジャージャーナルをにぎわして止まない諸問題である。彼はそれに先鞭を付けたどころか、その問題を作りさえした人物であった。

 さらに、極めつけはこれである。ホールも自著の巻頭に引用したことだが、20代初めのバルフォーはサメの発生に関する論文のなかで次のようにいう。

I see no reason for doubting that the embryo in the earliest periods of development is as subject to the laws of natural selection as is the animal at any other period.
Balfour (1874) A preliminary account of the development of the elasmobranch fishes. Quart. J. Microsc. Sci., 14, p. 343


 つまりはこういうことだ。発生パターンやプロセスが変化を被ることは、あらゆる発生段階に想定できるし、初期発生だからといってパターンがより保守的でなければならないと言う必然性などない。すべては等しく進化的淘汰圧にさらされる。発生初期の胚であればあるほど動物間で比較可能だと信じている発生学者たち、遺伝子発現パターンを比較しては、ただちに形態的相同性に言及せずにはおれない現代の研究者たちよ、19世紀の終わりに、すでに上の妄執から逃れていた弱冠23歳の若者が、比較発生学の中心に生き、志半ばにして去っていった。真の知性がどういうものか、思わず考えずにはおれないような人物は、たしかにこの世に時々出現する。

参照 " A Treatise on Comparative Embryology"