現代に蘇る遺産 ― リチャード・オーウェンの標本目録  (2007.6.1[Fri])


    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋

 

 今回は、我々に論文をもたらしてくれたCDB図書のとある蔵書について...。

 神戸へ移ってよりこのかた、図書委員を仰せつかっているが、創設当時、相澤グループディレクターから有り難くも「国立大学図書館に匹敵する内容のものを」との努力目標を戴いた。もとより歴史がゼロのところへもってきて、大学並みのコレクションもないもんである。とはいえ、私もこういう仕事は嫌いではない。とりあえず、主立った解剖学、発生学、組織学、進化生物学の古典をリストアップし、市村さんが甚大な努力を払って海外の古書店から探しだし、買い漁ってくれた。そうこうするうちに内外の古書カタログが恒常的に手にはいるようになり、挙げ句の果てには、我が国にまだ2,3冊しかないという「ゲスナーの動物誌」のような、「超稀覯本」の入荷情報まで入ってくるようになった。残念ながら、それはあっという間にどこかのコレクターに攫われてしまったが...。

 かくして、そこそこの古書を保有する図書館にはなったが、まだ大学には及ばない。内容的には動物学や比較形態学の教科書が断然多い。これには当然私自身の知識の偏りや、学生時代に親しんでいた京都大学動物図書のイメージも手伝っているが、別の見方をすれば、生物学の歴史はそういうものなのだと私は居直っている。後発の科学・学問分野は言わずもがな新しい教科書の方が出来が良く、情報も新鮮でなければ意味がない。が、比較発生学や比較形態学に関してはそうはいかない。歴史に裏付けられた知識体系を無闇にダイジェストすれば、価値は半減どころでは済まない。いきおい古典の名著と呼ばれるものは、それが博物学でなければ、必然的に形態学を中心に充実することになる。何しろそれは単なる骨董ではなく、使えるのである。いやむしろ、それしか使いものにならないということすらある。

 さて、私たちが夢中で揃えた古書の中に、Descriptive Catalogue of the Osteological Series contained in the Museum of the Royal College of Surgeons of England(Richard Owen 著 1853)なるものがある。これはJohn Hunterという破天荒の外科医が蒐集した膨大な動物骨格標本を、英国きっての比較解剖学者、Richard Owenがカタログ化したもので、この仕事によってOwenは自然史博物館に首尾良く職を得ることになったのである。このHunterについて書こうとすれば、おそらく1冊の本では済まない。医学業績のみならず、実に興味深い逸話がいくつも掘り出せる(等と言っていたら2007年4月、Wendy Moore著の「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」が谷野真千子により邦訳され河出書房新社より出版された)。OwenもHunterに劣らずの怪(快)人物であり、私自身、DarwinやThomas Huxleyなどより、ずっと彼の人生に興味を覚える。

 これは一体どのような書物なのか。間違いなく動物学書なのだが、そこには挿絵のようなものは一切ない。ただ標本の動物種を同定し、その骨格に関する基礎データの整理に徹している。どの歯が何本あって、脊柱には各種椎骨がいくつあって、脚の指が何本で、などという基礎形態データがびっしりと詰まっている。動物の形をこのように形式的に表現したものを「バウプラン」と呼び、それはいまでいう「ボディプラン」と似た意味を担うが、Owenがこの作業で行ったのは、まさにありとあらゆる脊椎動物のバウプラン記載だったのである。骨格のバウプランを網羅するにあたって、こんなに都合のいい書物は他にない。

 考えてみればこれは、多様な発生プログラムのカタログでもある。脊柱にどのタイプの椎骨をいくつ並べるか(これを示したのが椎式 - vertebral formulaである)、これは言うまでもなくHox遺伝子の制御を通じて遂行される有名な発生プログラムである。ならば、椎式を系統的に見れば、間接的にHoxコード変遷の歴史が分かる。と、思いついた私は研究員の成田君に、「Owenが記載した椎式を系統樹上に並べてみよう」と提案した。ただし、Owenの用いた19世紀の分類体系のうえにではなく、現代の分子データに基づいた、考えつく限りで最も信頼性の高い進化系統樹上におくのである。そもそも形態データが分類学を作ってきたのだから、椎式のような形質を古典的系統樹においてみたところで、話は循環論にしかならない。むしろ我々は、系統進化における発生機構の推移を目の当たりにしたかったのである。他人のデータを拝借するとはいえ、それを現代風に改めるというのはなかなか骨の折れる仕事ではあったようだが、成田君はじつに首尾良くこなしてくれた。

 古くから、哺乳類の頸椎がほぼ7に決まっていることは知られていた。他のタイプの椎骨はどうか。一見、胸椎や腰椎の数は、種ごとにごろごろと変わる。しかし、すぐに胸椎と腰椎の合計が多くの哺乳類で19に落ち着いていることに気がついた。とりわけ、有胎盤類の姉妹群にあたる有袋類や、さらにその外側に位置する単孔類ではつねに19である。さらに、この数は「目」や「上科」といったレベルで共有され、系統の基幹で変化した後、系統内の新しいルールとして定着するらしい。椎式はランダムに変化するのではない。変化した発生機構は形態に新しいルール(バウプラン)を作りだし、そこにまた新しいルールが付加される。進化が発生プログラムの変更の歴史に他ならないというのであれば、その変更の序列がルールの体系、つまり分類体系を作り出してきたこともまた確からしい。

 というわけで、我々ははからずもCDBの蔵書に美味しい論文のネタを拾ったわけなのだが、これには後日談がある。分子データを通じて最近明らかになった「アフリカ獣類 - Afrotheira」と呼ばれる哺乳類群がある。イワダヌキ、ゾウ、ジュゴン、テンレック、キンモグラなどからなるこのグループは、本来アフリカに起源したが、形態的多様化著しく、分子データがなければ分からないほど、形態的共通性が乏しい。しかし、共同研究者のMarcelo Sanchez-Villagra が別件でCDBを訪れた折、彼はアフリカ獣類の根幹で胸腰椎が特異的に増加していることを成田君のポスター上に発見したのだ。アフリカ獣類を定義する初めての形質! Owenが我々に2本目の論文を授けてくれた瞬間である。Owenこそ我がヒーロー。訪英の際には、墓参りぐらいせねば...。

Narita, Y., and Kuratani, S. (2005). J. Exp. Zool. (Mol. Dev. Evol.) 304B, 91-106
Sánchez-Villagra et al. (2006, in press). In: Systematics and Biodiversity (Cambridge Uni. Press).

参照 ”Descriptive Catalogue of the Osteological Series contained in the Museum of the Royal College of Surgeons of England”