私の円口類美術館 その1 ー 愛すべき博物画とは何か (2008.4.1[Tue.])


    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋

 

 パリのホテルでこれを書いている(2007年12月)。以前に紹介した例の古書屋台が林立する、あのセーヌ川沿い、ルーブル美術館の対岸、ヴォルテール河岸通りから始まり、南東へ延び、ノートルダム寺院の建つシテ島とサン・ルイ島の対岸、ラ・トゥルネル河岸通りを経、サン・ベルナール河岸通りへ至る、あの界隈から戻ってきたところである。まるで絵に描いたような世界的観光スポットをすぐ目の前にしながら、何が悲しくて川の反対側を2時間も歩きていたのかというと、博物画を物色していたのだ。そして、あのまま散財を続ければ人の道を踏み外しそうな気分になり、例によって観光もせずにホテルに逃げ戻った、という次第。

 目当ては、18世紀から19世紀にかけての版画。モノクロでも風情があるが、水彩絵の具で手彩色されていればなお良い。これが20世紀に入ると、インクを用いた多色印刷が普及し、趣が著しく減ずる。カラー印刷は現代の印刷技術へと連なり、どうも有り難さを感じない。さらに、ただ美しく人目を引くだけのあざとい絵画ではなく、科学的香りの漂う図版であって欲しい。前に紹介したAudubonの博物画は、死んだ鳥のスケッチであった。時代を下りJohn Gouldの絵画に至っては、鳥が立体的パースの中でいかにもありそうなポーズをつけ、構図の中にはまりすぎるぐらいはまっている。絵画としていくら技量が優れていようと、悪いがこの手の演出はいただけない。

 このように、「本来の博物画とは...」と、私なりにその定義を試みるとなかなか難しい。たとえばBuffonの博物学書に見る、記載対象としての動物たちは、それぞれの側面観(lateral views)をきっちり描かれ、一定の間隔で配列せられ、科学的体面を保っている。当時の生物学論文における「図版」の延長である。芸術的センスと標本の正確さとの狭間で精一杯表現された図版は、図鑑のようで図鑑でなく、芸術品のようで、そうでもない。そのこと自体が博物学の精神を語っているような気がする。そしてもう片方の極には、いかにも鑑賞を目的に描かれた「絵画」がある。科学的にいくら正確であっても、それはやはり「絵画」なのだ。従って、それは私のターゲットにはならない。ただし、これら両者の境界は明瞭ではなく、その領域内で私の愛する博物画を特定するならそれは、決して大衆におもねることのない科学的著作や学術論文に出自を持ちながら、無意識のうちに芸術的要素が入り込まざるを得なかった科学「図版」のことであるというしかなく、つまるところそれを私が個人的趣味に従って「博物学図版」と呼ぶかどうかにかかっている。従って図に示したように、私が所有する19世紀末から20世紀初頭の科学論文別刷りの中にも、切り取って額に入れたくなるような図版はいくらでもあるわけだ。

 セーヌ川の版画はすべて博物学書から切り抜かれ、一枚ずつビニール袋に入れられ、単価数千円程度で売られている。中には明らかに裁断を免れた製版前のものもあるから、当時の版元に通ずるルートでもあるのだろう。誰が始めたか知らないが、我々が普通に購入できる博物画とはこういうものであり、私の知る限り、その品揃えが最も充実しているのは、そのセーヌ川の河岸通りだ。無理もない。本として買おうとするなら、1冊数万円では収まらず、しかも数巻セットになったものが多い。思い切って買うことがまれにあるとしても、安易にコレクションの対象にはできない。図書館にあったらあったで、日常的に人の手が触れ、絵具の粒子がどんどん落ち、脂もつく。加えて、生物学的情報は現在の方が数段正確で優れているとなれば、こういった書籍の価値はその図版の持つ骨董的価値に集中し、いっそバラバラにして売れば庶民的予算でも何とかなるだろう、そういった図版をいくつか買ううちに、本物の古書を買う酔狂な客も出てくるだろう、というわけだ。「この絵を自宅に飾ったらどんなに素晴らしいだろう」と、多少とも博物学に関心のある客は足を止め、一枚一枚版画を繰りながら、いくらなら買おうか、どんな額縁に入れようか、自宅のどこに飾ろうかと考える。実際にかくのごとき習性を身につけた私は、こういう商売方法の恩恵を間違いなく受け、一概に批判する気も起こらない。たぶん、今日購入した図版を含む、完全な形のオリジナル本がまだこの世に何冊も残存し、その気になれば見る機会もあるのだろう、場合によっては入手さえできるだろうと、今は信じている。

 さて、この河岸通りの古書店は、博物画(そこには動植物だけを描いただけではなく、当時の風俗、衣装、地図、風景を扱ったものも多数含まれる)や、当時の新聞や古絵葉書など、骨董価値が確かに付随する物品を置いてあるだけではなく、どこかよその国で大量生産された安物の土産物や、見るからにできの悪い複製画も売っている。まるで秋葉原のバッタ屋のような、こんなみすぼらしい、と言って悪ければ質素極まりない場所に、下品な絵葉書や陳腐なポスターなどと一緒に、本物の博物画が売られているのだ。本物と偽物が渾然一体となって客を待ちかまえ、自らの身分を偽ることなく相応の値をつけて並んでいるのだ。ならば、京都河原町や神田神保町などよりむしろここは、神戸元町高架下なんかにずっと近いのかもしれない。商売のやり方も同様で、どの店が開いていてどれが閉まっているのか全く不明。クレジットカードなど使えると思ってはいけないし、開店時間だってあって無きがごときもの、勤勉をもって知られるどこかの国の古書狂の、朝からシャッターの前に並ぶがごとき真剣さとはおよそ無縁な場所なのだ。

 行くなら昼過ぎがいい。できれば食事も済ませておこう。そろそろ店がいくつか開き始めている頃だ。が、はやる気持ちを抑えつつ、ヴォルテール河岸通りの西端南側にあるカフェ、その名も「Le Voltaire」でとりあえずエスプレッソなど飲んでみる。無論、頭はすでに博物画のことで一杯。カフェインが回り、いや増しに私を煽る。金はおろした、トイレも行った、獲物求めていざ出陣、と意気込んで歩き始めたところ...あるわ、あるわ、「目の毒」などというありきたりの言葉ではもはや表現できない程の、暴力にも似た視覚的誘惑が無防備な私を襲う。もちろん、同様の品は今の時代日本でも手に入らないわけではない。輸入品だからといって法外な値もつかない。実際、行きつけの京都の某書店は、同様の博物画をいくつも取りそろえている。しかしParisは...そう、Buffonが生き、Lamarckが生き、CuvierとGeoffroyが喧嘩したこのParisという町は、博物画が作製されたまさにその場所なのである。量と種類が半端ではない。私の愛するあの歴史が、バラバラの図版となって10メートルごとに私を呼び止める。こんなところで欲にまかせて買い物すると、いくら金があっても足りゃしない。必然的に目標は、カメとか、ヤツメウナギとか、フジツボとか、私や私の連れ合いに関わる動物種に集中することになる。あの2時間、私という一人の日本人客が存在したことによって、今日、あの河岸通りからヤツメウナギの絵だけが特異的に品切れになったことはいまさら言うまでもない。

(つづく)