Lamarckの「動物哲学」 (2008.12.1[Mon.])


    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋

 

 以前書いたように、Darwinに中心をおいた進化論争の歴史観にあっては、「Lamarckを否定したCuvier → Cuvierを否定したDarwin」という流れが語られるのが普通で、天変地異説などを持ち出して進化を否定したCuvier以前のLamarckなど、とんでもなく古風な18世紀人であっただろうと思いがちだが、実はそんなことはない。Lamarckは思いの外Darwin、あるいは我々の観点と近いレベルにあり、「動物哲学」の出版された1809年以降の50年間、Darwinが登場するまで、Cuvierが一人で進化思想を停滞させていたというのがむしろ正しい。ここに、フランス革命その他が関係してくる点についてはすでに述べた。以降の記述は、小泉・山田の訳になる岩波文庫1954年版の「動物哲学」について。日本の進化生物学創始に当たって大きな業績を残した小泉丹による解説も読み応えがある 。

 我々が生きているこの自然がそもそもどのような成り立ちをしているか、いわゆる自然観を確立するための研究はとてつもなく古く、動植物の最初の体系化、すなわち分類学はアリストテレスにまで遡る。本来宗教観の一部であった自然観に、博物学が精密さを加え始めたのが17-18世紀。そして博物学が本格化し、科学になるに及んで進化論は宗教と対峙せざるを得なくなり、同時的に博物学は科学と決別するにいたったというのが私の理解で、その決別を完成させたのがDarwinであったと考える。むろん、この歴史的経緯においてDarwinは最後の1ページを飾ったに過ぎず、そこにいたるまでには当然多くの学者たちの戦いが控えている。その中で、Lamarckの「動物哲学」は、ともすればCuvierの存在によって目を眩まされがちな我々の認識を糺してくれる、実に興味深い書物である。

 「動物哲学」が出版されたのは1809年であったが(来月でちょうど200周年になる)、その思想は18世紀後半を代表する。そのころ、この世の生き物はすべて「自然の階梯」上に並べられ、「虫から天使や神へ」といたる系列をなすと考えられていた。Lamarckが行ったのは、比較形態学的根拠からあらゆる動物を分類しなおし(それに際して、彼はそれまで主流であったアリストテレスの分類学を捨てている)、それらが時代とともに変化してきた系列であることを提示し、その変化の機構として「用不用説」、「獲得形質の遺伝」を仮定した。

 冒頭、「神」という語の出現に思わず我々はたじろぎ、身構えてしまうが、それは高々数ページのこと。以降、「神」は一切登場せず、同様な言説においては「自然は...」と、「自然」を擬人化し、主語として用いている。これは訳者もいうように一種のレトリックであり、Lamarckが何ら人格を有した造物主を仮定していなかったのは明らかだ。おそらく教会からの圧力を逃れるテクニックだったのであろう。加えて、当時はパスツールが自然発生説を否定する50年も前のこと、Lamarckにとって最も下等な動物が日常的に「湧いて出る」のは不自然なことではなかった。神の介入を無視したLamarckのこの態度は、50年後の「種の起源」において、最後の最後に造物主を否定しきれなかったDarwinと対照的である。生命進化史を紡いだ19世紀の学者の中で、生命の出現という奇跡的事象に対して最も冷ややかに「それもやはり、何か未知の、複雑な物理化学的過程にすぎないのだ」と言い得たのは、少なくとも私の知識の範疇ではHaeckelだけだが、19世紀初頭の科学的背景を思うと、生命の起源に対するLamarckの処理の仕方もまた、見ようによっては冷ややかであり、一方、この件に関して煩悩の濃いのはむしろDarwinだったのではと私は想像している。

 Lamarckは、この世の動物を14のグループに分け、体制の違いによって、それらを系列化している。つまり、グレード的進化過程である。Lamarckにとって進化とは、構造の向上的変革(今でいう、進化的新機軸)が生ずることにより、動物はそれまでできなかったことができるようになり、新しい動物群が産まれるという過程である。つまり「動物哲学」は、ボディプランの刷新からみた動物の進化史なのだ。この視点が「種の起源」には欠落している。しかも、当初は一直線の系列を考えていたLamarckも、どうしても最後には系統樹のようなものを描かざるを得なかった。つまり、Lamarckは大声では言わなかったが、Darwin以前にすでに、自然の階梯をも否定していたらしい。動物進化を段階的変遷としてみるか、枝分かれの序列としてみるか、それがLamarckとDarwinの違いと考えられているが、それは必ずしも当たってはおらず、むしろ形態学の弱かったDarwinと比べると、Lamarckの方が形と発生の進化を論じる現代のEvo-Devoにより近い。神を否定し、アリストテレスを否定し、自然の階梯を否定し、動物の進化をボディプランの変遷という形で示す。このような過激なことを18世紀末から19世紀初頭にかけてやってしまったのがLamarckであり、その壮大な進化史を語るスタイルはHaeckelの「自然創造史」において意図的に雛形として用いられている。

 さて、ここからが問題である。ダーウィニズムを標榜とする進化生物学者は、反復説のHaeckelが、GoetheとDarwinとLamarckを同等に持ち上げていることをもって、「獲得形質の遺伝を唱えたLamarckを同列に論ずるのはけしからん」と息巻くことが良くある。しかし、それはDarwinではなく、ダーウィニズムの立場から、機構としての獲得形質の遺伝を否定しているだけではなかろうか。Darwin本人は、それを否定し切れてはいなかった。「用不用説」にしたところで、良く用いている器官だからこそ淘汰の篩にかかるのは当然。確かに使うからこそそれは進化しえたのである。循環論的レトリックとしては、「淘汰を生き抜いたのだから存在している」という、Darwinの「適者生存」と大して変わらない。また、ボールドウィン効果とか、遺伝的同化とか、現象としてみれば獲得形質があたかも遺伝しているように見える事象は少なくない。むろん、それを機構論として捉えてはいけない。機構論としてみるならば、Darwinの自然選択説においても遺伝因子の主体として仮定されていたのは「ジェミュール」とかいう、血中にあるとされた仮想的液性因子だった。これもまた明らかに誤りである。Darwinとダーウィニズムを同一視してはならない。そして、現代進化生物学の概念的構築に最初の血肉を与えたのが、HaeckelやLamarckなど、比較発生学や組織細胞学、そして比較解剖学など、Darwinが滅法苦手だった分野を切り開いた独仏の生物学者達であったことを忘れてはならない。

 「動物哲学」は必読の書である。なかなか陽の目を見ないLamarckを正しく認識するためにも是非、読んでおくべきだろう。近代遺伝学も大陸移動説も知らなかったDarwinが、「種の起源」の中で生物地理学や育種についてぐだぐだと戯言を述べているのに付き合うのは現代人にとっては苦痛以外の何ものでもない。が、「動物哲学」は発想と才気に充ち、進化に関する我々の自然な感性を刺激して止まない。19世紀初頭に生きた天才の知恵が、我々の知識体系と驚くほど近いことを教えてくれる書物である。