「マルタ島」という時間 (2009.12.1[Tue.])


    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋

 

 地中海の真ん中。まるでイタリア半島(Penisola italiana)の長靴からこぼれ落ちた土塊のように、Sicilia島の南方にぽつんと浮かぶMalta島。そのSt. Julian's Bayに建つWestin Hotelに、私はいま泊まっている。この島は淡路島よりずっと小さいに違いない。どこかとつながる橋もない。典型的なリゾート地だ。住民の人口よりもネコの方が多く、マルチーズ発祥の地でもある。あちこちにサボテンやハイビスカスの花が咲き、地面には小さなトカゲが走る。きつい日差しから逃れるよう身を殻の中にひそめたマイマイがそこらじゅうにくっついている。カメレオンも棲息しているはずだが、少なくともちょっとやそっとではお目にかかれないらしい。聞いてみると、地元の人間でも見たことのある者は少ない。様々な国から観光客が訪れ、世間から隔絶されたようなこの状態を楽しんでいる。あるいは、金持ちが別荘を建てたり、昔のお城を改装したりなぞして、優雅な生活を楽しんでいる。丘の上にある廃墟のような古城も、あれは観光名所などではなく、個人所有の物件なのだ。

    2009年10月。私が招かれたのは、MYORES - European Muscle Development Networkという筋発生関連のシンポジウム。これはEC予算ネットワークの定例会議といった性格のもので、したがってシンポジウムというより、科研費の班会議にずっと近い。研究費に関して運命をともにするためか、親密な連帯意識を感じさせる。皆いたって仲がいい。というわけで、研究発表やプレナリートークだけでなく、私のような招待客にはあまり関係のない総括グループによる年次報告もあったりして、プログラムはゆったりとしている。それでこんなエッセイを書く時間もできる。そう、ここはある意味、時間が止まっている...。

    淡路島にある同系列のホテルと似たものと思えばいい。豪華で大きい。食事やセッションのたびにいちいち長距離を歩かされるので、私のような運動不足の人間にはありがたい。部屋も広く、ベランダに机を出して仕事ができる。湾を挟んで、向こう岸には、Corinthia Hotelという、これまたよく似たホテルが建っている。カジノもあるが、知ったことではない。そういったものは、まるで人ごとのように遠くから眺めるに限る。さっきから、やたらと大きな音でラテン音楽が向こう岸から聞こえてくるが、何かパーティーでもやっているのか...。風が涼しい。風呂上がりにはちょうどいい。何となく贅沢だ。環境も設備も豪華なのだが、それで贅沢を感じているわけではない。私がいま所有しているものとも関係がない。ベランダと、風と、景色と、しばし雑事を忘れ、片付けなければいけない仕事を後回しにして、ぼんやりと時間が過ぎてゆく状態...。私に付随するもののなかで、贅沢を一番感じさせてくれているものをあえてひとつだけ挙げるなら、それはいま座っている椅子の「背もたれ」だ。ここの海で泳いでばかりいる私の知人の研究者が言っていた。「研究の世界では誰もがバカみたいに忙しい。だから、たまにこういった場所で羽を伸ばしてもちっとも罪悪感など感じない。そうせずには僕たちは生きていられないだろ」。

    日本人はほとんど私一人。数十人の参加者の中で、知り合いは数名。名前は知らないが見知った顔は10名程、見たことがあるのか無いのか判然としない顔がさらに5名。よくある会議のパターンである。言語はもちろん英語だが、ヨーロッパ中の筋関連の研究者が集まっているので、ネイティヴな発音などほとんどない。このような環境では、「英語で会議を進行するかどうか」など問題以前。今に始まったことではないが、つくづく日本が世界の中で孤立していることを思い知らされる。それは戦前からずっとそうかもしれないなどと、考えてみる。そして、そんなことを考えているこの私は、いま「どこ」に属しているのだろう、あるいは「いつ」に属しているのだろうと...。

    たとえば、自分がこれまで親しんできたヨーロッパの比較形態学や比較発生学の歴史を思ってみる。本場のドイツ人がすっかり忘れていながら、自分だけが意固地に大事にしている19世紀由来の知識を持っていたりすると(といって、こういう時代、私の専門分野はほとんど古書のような知識体系だけだが...)、いったい自分はこの科学の世界の中でどこに位置しているのか、不思議な気分になる。いわずもがな私の研究は、日本に属している日本的味わいのものなどではまったくない。が、かといってそれはまた、おそらくドイツのJenaを例外として現在のヨーロッパのどこにも存在しない。結局、私は私以外の何ものでもない。昔、あるドキュメンタリー番組を見た。それは、遠い昔秀吉に弾圧された隠れキリシタンの末裔達がいまでも棲む小さな村。そこで受け継がれている、ある不思議な「唄」を宗教音楽の専門家が調べてみると、それはなんと中世バージョンで歌われる「グレゴリオ聖歌」であったそうだ。ちょっと聴くと民謡のようにも思えるその唄こそが、どうやらいわばグレゴリオ聖歌の祖先型なのだ。本場ヨーロッパでは長い時間のうち、音階や対位法、和声などが発達し、オリジナルの曲も次第に近代化、それが生まれたときの唄とはすっかり変わってしまった。が、それが日本に渡り、西洋音楽の進化から取り残された結果、いまでもその本来の姿を極東の地の果てにおいてのみ見ることができる。加えて、西洋には決して起こらなかった別系統の変化も生じている。ある意味、タイムマシンでもなければ不可能な進化実験。ならば私もまた、比較発生学の祖型を私なりに料理し、現在の発生学にアレンジすればよいわけか。どこにも属さない、誰とも異なる方法で...。古色蒼然というのは、決して「時代遅れ」を意味はしない。

    対岸の音楽はいつのまにか60年代のポップスになった。大きな戦争が一応の集結を見、アジアも欧米も、核の脅威の下で人として幸せになるためにお金を使うことを考え始めた60年代。「明日という字は明るい日と書く...」という歌詞の唄も流行った。子供ながらにあの時代、「未来という名の明るい時代」が訪れつつある、などとと無邪気に考えていた。パラダイスのような南の島、晴れ渡った青空、カモメ飛ぶまぶしい日差し、テラスでの朝食、そしてとりわけ、今日と同じ平安な日が明日も訪れるという確固とした約束...。そんな、ありきたりの60年代的価値観を代表する浅薄な贅沢はしかし、世紀が改まっても一向に現実化しなかった。その幻滅は、ただ個人が「大人になる」というプロセスとも違う。それは過去数十年を通じて世界が体験した幻滅でもあり、潰えた夢はノスタルジックな「幻の未来」を体現するリゾートとして、マルタ島のような場所に現れた。いわば、かりそめのパラダイスとして...。誰にでも手に入れられるリゾート装置、いまではこんな場所が、この星のそこかしこにシミュレートされ、それを一瞬だけ享受するため、精一杯お金を貯めては、毎日世界中から多くの人々が納得ずくで訪れる。研究者など言うに及ばず、そんな贅沢を永続できる者などほとんどいない。未来ならぬ現実という名の21世紀を、我々はみな生きている。

    すでにあらゆる価値は解体され、文明は飽和した。いつのまにか真の贅沢は、心の中でそれを感じる能力のあるものだけの特権となった。そんな「乖離」の顕著となった現代において、リゾートとはつまるところ、誰にでも開かれたお手軽な「贅沢感発生装置」、一種の媒体に過ぎない。現実とは別の速度で流れる心の中の時間を、いつから人は生きるようになったのだろう...。人間の幸せが存在する場所、そこはいまでは未来ではなく、「時間の止まった場所」のことをいうのだ。