M氏のコレクション、あるいは単に気味の悪い蟲 (2010.8.1[Sun.])

    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋


  "My mommy always said there were no monsters. No real ones. But there are..."
 from 'Aliens' directed by James Cameron, 20th Century Fox, 1986.

 それは厳密には昆虫ではない。昆虫には属さない広義の「虫」、伝統的に「蟲」の範疇に含まれてきたところの実に気色の悪い連中の話である。こんなことを言うと、「おまえも動物を差別しているじゃないか」といわれそうだが、知ったことではない。私はごく個人的に、鱗翅類昆虫を含む一部の動物が美しいと思っているにすぎず、私にも耐えられないような気色の悪い動物、「ヤバイ虫」はこの世にゴマンといる。それを否定する気など毛頭無い。「あらゆる動物は等しく愛らしい」などとヤワなこという輩に、環境問題や自然愛護を論じる資格などない。どうすればその資格が得られるかって? そう、たとえばあなたが東南アジアの森の中にいるとしよう。眼前に巨大なコブラが突如出現、白い眼を剥き頸肋を目一杯広げて威嚇してきたなら、まぁ合格だということにしておく...。

 何が美しく、何が気持ち悪いか、その違いは実に微妙な線引きであり、それが簡単にできるならこの世から戦争などなくなるだろうにとすら考える。その点、前回紹介したM君もまた、私とはかなり異なった美的感性の持ち主といわねばならぬ。なにしろ、誰もが嫌悪する「ウデムシ(amblypygids)」なる蜘蛛の仲間をどこからか入手してきて(図)、昆虫館のO氏に展足と箱の作製を依頼したりする。で、この「ウデムシ」とは何か。半世紀に亘る私の人生のうち、写真ならともかく、生きているウデムシの映像を見たことなどたったの2回しかない。ひとつは、BBCの自然科学番組を多く手がけるDavid Attenborough氏の、「Life in the Undergrowth」という(私ですら、ときどき思わず引く)過激な番組で紹介された戦うウデムシの雄2頭。ちなみに家内は氏の大のファンだが、これだけは食傷気味。見ていてつくづく「人間に生まれて良かった」という。この番組、現代社会に不満のある向きに是非ともお勧めである。で、もう一つは、映画「Harry Potter」のどの回だったか*、とにかく「こんな虫がいたらイヤでしょ」とでもいわんばかりのCGモデルとして登場した。だから正確には、生きているのではなく作り物である。ただし、あの映画を単なるファンタジーとして観ているような方々にこの際はっきりと申し上げておくが、あれは決して空想の産物などではない。あの怪物はこの地球上に現実の生物として、あの通りの形で存在するのだ(図)。

  美しい蝶を日常的に扱う六甲昆虫館のO氏も、ときにはタランチュラとか、サソリとか、はたまたワニですら特製箱に収める。生き方がダンディでも、商売である以上頼まれればイヤとは言えぬ。しかし、このウデムシを目の当たりにしたとき、さすがのO氏もぶったまげた。「いやぁこれ、Mさんが持ってこられたんですがね、ちょっとねぇ、展足していていい気分はしませんでした...」。そんなM君の標本箱というのはしたがって、ちょっとした見物である。箱に入っている限り、標本は死んでいてガラスで隔てられているからちっとも怖くはない。むしろそういった生き物の造形は実に興味深い。そこには特大トビズムカデとか、下に紹介するオオゲジとか、やはり特大のザトウムシなんかが入っている。ただ、岡山の真ん中で遭遇したというので、彼はヒメヤママユとかウスタビガのような美しく愛らしい連中とそいつらを一緒に入れているのだ。これはちょっと許せない。が、まぁいい、勝手にしろ。そういう無茶苦茶なところがM君のセンスなんである。で、その箱を見た人は口をそろえていう。「なんとまぁ、趣味の悪い標本箱だなぁ...」。まったくもって同感。

 そのオオゲジを捕獲したときの話を...。あれもまた岡山、蒸し暑いある夏の夜、いつものコンビニ昆虫採集でのことだった。そんな夜には、すごい生き物たちが光に寄せられゴマンと集まる。美しい蛾や、クワガタ、カブトムシだけではない。タガメだって飛んでくるし、カゲロウの死骸の山を食いにゴミムシ、シデムシ、ムカデも集まる。小蛾類を食いに来たアマガエルやヤモリを求め、ヤマカガシまでやってくる。さながら、食物連鎖の縮図がそこにはあり、それを見るにつけ、「我々人間はこいつらの頂点には決して立ってはいない」と、願うばかりの気持ちにさせられる。そんなコンビニの湿ったコンクリートの壁である、そのオオゲジThereuopoda cluniferaの化け物がいたのは...。M君、そいつを発見するなり網をかぶせ、興奮した様子で「先生、先生、早く!これすっごくデカイです!絶対逃がさないで、殺してください」。どうやら屠殺は、10%アンモニア入り注射器を常備している私の役目らしい。多足類のうちでは比較的おとなしいオオゲジも、こんな目に遭えばさすがに黙ってはいない。身をくねらせて暴れること...。噛みつかれそうで怖い。ようやく25ゲージの針が刺さり、アンモニアが注入されたと思うまもなく、なんとそいつは無数の付属肢のいくつかをぽろぽろと自切し始めた(それは本当に「ぽろぽろ」という感じなんである)。私の瞳孔が、瞬時に拡大した。

 「虫酸が走る」という言葉がある。誰でも知っているが、真にそれを感じたことのある人間はおそらくそう多くはあるまい。私のそのときの感覚が文字通りのそれだ。オオゲジにしてみれば自切も一種の自衛行動、敵の目を逸らすのがその本来の目的なんだろうが、少なくとも私には別の意味で大変効果的であった。気色悪さ満点なのだ。「なんなんだ、こいつは...」。しかし、M君はお構いなし。「先生、先生、気をつけて、脚は失くさないでくださいよ。一本もなくしちゃダメですよ!」。こらぁ!、そんなことぐらい自分でやらんかぁ!と思わないではなかったが、彼の興奮に気圧され、湿った地面に転がっている、ちぎれたばかりのオオゲジ脚を一本ずつ拾い始める。そうなんだ、Mはいつもこうだ。何かというとヤバい仕事を押しつけ、私はというと、なんだか知らないうちに諾々と従ってしまう。どういうわけか抵抗できない。いつだったか、特大オオスズメバチVespa mandarinia japonicaを捕獲したときもそうだったよな。「先生、先生!、あれ逃がさないで!、捕まえましたか、どうもありがとうございます。ではアンモニア注射してください! 僕は昔刺されたことがあるんで、2回目に刺されると命が危ないんです。早く、早く!」、「そろそろ闘争フェロモン出してるでしょうね、仲間が来るといけないんで、ぼく、風上で待ってますから...」。じゃぁ何かい、ワシは刺されてもいいんかい。スズメバチの猛襲を受けてもいいんかい。で、私が苦労して捕獲した戦利品を持って帰るM君...。あぁ、こんな蒸し暑い夜のコンビニで一体何をやっとるんだ、私は? 本当なら、眼にも鮮やかなヤママユやクスサンの完品を手に入れ、ほくそ笑みながら三角紙に入れているはずではなかったのか...。   

  翌日、研究室に来ると、M君はさっそくオオゲジの標本作製にとりかかり始めた。木工用ボンドでちぎれた脚を器用に接着し、山のように針を使って保定、乾燥させること約20日、その特大オオゲジ標本はできあがった。おぉ、壮観。確かに迫力がある。雄々しく広げた脚の並びは、幾何学的な意味で美しい...。が、やはりそれはオオゲジなのだ。臭く湿った暗闇を、獲物求めて徘徊するこの世の魔物なのだ。数え切れない脚をわらわらと動かしながら、こいつがコンクリートの壁を這っていた情景がよみがえる。蒸し暑い夜がくると、あのM君の「先生、先生!」と呼ぶ声が聞こえてくる。今度は何を見つけたんだ、M君? どれどれ...あぁ、やっぱり気持ち悪い...。

*注:4作目の「Harry Potter and the Goblet of Fire」である