街の音  (2016.05.02 [Mon])

    理化学研究所 倉谷形態進化研究室  倉谷滋



  

  かねてから「こんな書斎が持ちたい」と思い描いていたところへ、ある日あるときたまたま不動産屋に見せられた物件というのがまさに、You read my mindとでも言いたくなるようなもの、即契約とは相成った。我ながら思い立ったときに大胆なことをやってしまったが、これまでの人生、気に入った部屋は例外なくこの手の一目惚れで決めている。その手応えは勘というしかなく、ひとえに「ツボに填まる」のである。かくして、人生で最もしんどい引越を敢行し、今こうしてここに居る。

  もう、ほとんど山の麓、かなり坂がきついが、いつの間にか慣れてしまっ た。私ぐらいの歳になると、たまには心臓をバクバクさせたほうが健康には良いと、ある友人が言っていた。二階だから夜景は絶景とは行かないが、港の一部と海、そして洋館の尖塔が見える。向かいの家の楠が目の前まで茂り、予想通り夏とともにアオスジアゲハが到来した。誰が植えたのか、壁には蔦が這い始めている。

  横を見ると、家と家の間に僅かに坂道の断片が見え、其処が丁度街灯で照らされて不思議な空間を作り出している。道行く人の姿がホンのコンマ何秒間だけ其処に見えるわけで、いわば人々の「切片」だけがDNA断片のように次から次へと見えることになる。想像力を逞しうすれば、タルホ翁がかつて「薄板界」と呼んだ異世界への入り口のようにも見える。「次はどんな人が通るのだろうか」などと考えながら、ずっと目を凝らし見ていると、何か少年探偵を気取っていた小学校時代の感覚が蘇る。街のどこかに、六〇年代阪神モダニズムの中に育まれたハードボイルドな少年の思い出が今でも此所彼処に潜んでいそうで、ある意味、初めて住んだにも拘わらず、生まれ故郷に帰ってきたようにも感ぜられる。そんな既視感を、ここしばらく楽しんでいる。

  聴覚について言うなら、ここにきてようやく「街の音」が自分の許に帰ってきたと感じた。昔、誰かが、「窓を開いて聞こえてくる音のアンサンブルが好き」と言っていたが、それと同質の、生態系としての街の声とでもいうべき音が確かにここにはある。往来を行く人々の話し声、赤ん坊の泣き声、イヌやトリの鳴き声、どこか遠いところでの工事の音、車の音、クラクション......。そういったものが渾然一体となって「街の音」を構成している。残念ながら、ポートアイランドではこうはいかなかった。計画に従って一気に作られた住宅街に接し、最初から延びていた幹線道路。本来的には埠頭で荷揚げされた貨物を運ぶトラックのためのもので、同じ騒音が朝から晩まで続く。かと思うと、深夜には暴走族が彼ら独自の「音楽」をがなり立てる。それはそれで、これからの日本の風物詩ともなって行くのかも知れないが、都市近郊で生まれ育った私にはどうもなじめなかった。良いところも決して無いではなかったのだが.....。

  越してきた当初、まもなくして二階の住人と鉢合わせした。当然、自己紹介をしたのだが、そのとき相手が、「騒音がうるさくはないですか?」と、気を利かせて聞いてきた。私は何も考えず、「いいえ」と答えた。が、実はその人が弾くピアノの音はしょっちゅう聞こえていたのである。断っておくが、遠慮して「いいえ」と言ったのではない。ただ「うるさい」と思ったことがなかったので正直にそう答えただけのことなのだ。だから、「上の音が何か聞こえてきませんか」と聞かれたなら、私は「はい、時折聞こえます。それはピアノの音だと思います。あなたが弾いてておられるのですか」と言ったことであろう。

  というのもその女性のピアノ、かなり達者なのである。最初、この観光地の大道芸人が使うBGMでも聞こえてきているのかと思った。しかし、良く聴いてみると、所々引っかかるところがある。つまり、録音されたものではなく、実際にピアノを練習しているところだったのだ。私はそれを一種、街の風情として楽しんでいたというわけなのである。やはり、この街にはそこそこの腕前のミュージシャンが居るのだと。これは決して騒音ではない。

  そういえば、子供の頃住んでいた豊中の実家は木造二階建てで、同様の家屋がある間隔でその近辺に立ち並んでいたのだが、夏の夕暮れ時など、裏庭の向こうに接している家の縁側から三味線の音が聞こえてきたものだった。当時は三味線を弾ける女性が街にそこそこ居たのである。今にして思えば、かなりの風情を醸していて、一種環境音楽というか、ほとんど秋の虫の声と同レベルの風物詩となっていた。両親はじめ、家族の誰もそれについて文句を言うのを聞いたことがないし、皆、当たり前のようにそれを受け入れていた。

  最近の集合住宅では(私の住むところもそのひとつには違いないが)、壁や床の防音がどうのとか、契約内容と違うとか、苦情の応酬でいつしかぎくしゃくとした対人関係ばかりが建物の中に凝集して行く......そんな話になることがほとんどだと思うのだが、そもそもそのような反応自体が貧困なのではなかろうか。隣人の立てる音の音圧ばかりが問題とされ、その内容や質は一切問われない。そこで問題になるのは大抵フローリングや壁の材質。そのような環境の中で、文化は確実に死んで行く。

  この街は夜になると静かすぎて、隣人の生活音でもないと、むしろ落ち着かない。近所のフランス料理屋 (露れもなく「巴里のカフェ」を意味する仏語名を冠し、始終エディット・ピアフを流している)のオーナーをやっている知り合いも、「此所は、夜になるとゴーストタウンのようになるしなァ......」等と私に平然と言う。人と顔を合わせるや「Bon jour! Ça vas?」と誰彼となく声をかける陽気な彼は、此処ら界隈における一種の有名人で、彼もまた、最近この街に暮らし始めたばかり。それ以前は私同様ポート アイランドに住んでいた。こういうのも腐れ縁というのだろうか。